冤罪で逮捕された喜邑拓也(きむらたくや)さんは無罪です!!

【連絡先 n_kimutaku@yahoo.co.jp】 喜邑拓也(以下、喜邑)さんは、去る平成28年11月21日、中村区の自宅において強制わいせつの疑いで逮捕され、西枇杷島署に勾留されました。その後、平成29年1月23日、検察庁は不当にも喜邑さんを在宅のまま起訴しました。喜邑さんは一貫して無実を訴えているにもかかわらず、一審では不当にも有罪判決を下されました。喜邑さんは強制わいせつなどしていません。控訴をして闘い続けます。

岡校長について

 先の公判で、岡校長は「私のしてきた対応はすべて正しかった。間違いはなかった。こちらに非はない。」と言わんばかりの証言をされました。

しかし、

①校長は翌日から欠勤を命じ、事実上の給料取り上げ処分を行った。本来は県教委の権限である懲戒処分の『減給』よりも重い処分を校長が自ら行った。これは越権行為であり違法。※のちに校長は自分の誤りを認め、謝罪の上、給料は支払われた。

②教員免許更新の申請書類を紛失。危うく無免許で教壇に立つところであった。※のちに清須市教委と校長が謝罪。更新証明書がH28年4月20日にならないと発行できないとのことで、これでは4月7日の始業式から約2週間、無免許で3年生の学級担任を受け持つことになる為、特例で4月1日付けの仮の証明書を県教委が急いで発行。

 この2つだけでも、人の人生を大きく揺るがすミスだと思うのですが、これでも岡校長は「自分の対応は100%正しかった」と言えるのでしょうか。それでも、なお子どもの前に立っておられるのです。

昨日の裁判で

【昨日の裁判で】

 校長は法廷に入ってくるとき、だいぶ緊張したような面持ちでした。とにかくよく喋り、時折、興奮する場面も見られました。「理由を言いましょうか」などと、聞かれてもいないのに長々と喋られます。嘘を言う時は多弁になるといわれますが、喋れば喋るほど『ボロ』が出てきます。「聞かれたことだけ答えてください」と注意を受ける場面もありました。

 昨日の校長の証言を聞き、「私のしてきた対応はすべて正しかった。間違いはなかった。こちらに非はない。」と言わんばかりの内容でした。この校長の態度には驚きました。私は14年間、教員をやってきた中で、「自分のしたことがすべて正しかった。100点満点の対応だった。」と思ったことなど一度もありません。授業もそうです。得意な音楽の授業でも、100点満点の授業などできた試しは一度もありません。常に反省ばかりでした。私は当然ながら『校長』というポジションに就いたことはないので分かりませんが、きっと校長まで昇りつめたお方は、「自分のしてきたことは、すべて正しかった。」と感じられることがあるのでしょうね。

 最終的に証拠がなく、行政処分が出されなかったのです。しかし校長は「喜邑が認めなかったから、処分が出せなかったんだ!」と主張。しかし、多数の目撃証言等、明らかな証拠がそろい、誰もが「喜邑が犯行に至ったに違いない」と思えば、本人の認否云々の次元ではなくなり、県教委が強制的に処分の判断を下すハズです。行政のある程度客観性をもった正式な手続きを踏んだ上で処分が出なかったのに、残念ながら、校長はそれも認めませんでした。

 次回の証人である『中原千種スクールカウンセラー(女性)』は、現在、清須市教委から採用され、岡校長のもとで勤務している職員です。当然、清須市教委や岡校長に忖度するでしょうし、裁判前に岡校長とも念入りな打ち合わせをしてくるでしょう。現在の清須市教委は、情報開示の対応から見ても、校長を守る立場についていることがうかがえます。また、中原氏は1体1で話を聞いているようです。そうしたことから、中原氏の証言の信用性については大いに疑問です。中原氏は校長のように長々と喋るようなことはないと思いますが、多くの傍聴者もいる中で、決められた時間を大幅にオーバーするのは勘弁してほしいものです。

第4回公判 岡春彦校長の証人尋問

【第4回公判 岡春彦校長の証人尋問】

 今日は第4回公判でした。満員の傍聴者の中、行われました。駆けつけてくださった方、ありがとうございました。
 岡校長、とにかくよく喋っておられました。聞かれていないこともたくさん喋っておられ、検察側からの質問時間20分を大幅にオーバー。40分近くかかっていました。これにはさすがに検事も苦い顔。校長は途中でいらだちを見せる場面もありました。嘘を言うときは多弁になるといわれますが、とにかく自身を守るために必死だということがよく伝わりました。

・保護者の訴えをすべて鵜呑みにし、最初から喜邑を犯人扱いしていたことがよく分かった。
・校長は「こういう事実確認は校長と教頭といった複数の人間で聞き取るのが原則。」と言いながら、最初に保護者が訴えて来たときは校長だけで対応しているという矛盾。
・校長は何も調査をしていない。女児に話を聞くこともしなかった。
・1月25日、「喜邑はすべての質問に『はい』と答えた」と発言。
・県教委の指示で再調査をする中で、学級の児童に聞き取りをしたということが、清須市教委からの開示文書に明記されていたが「学級の児童には、聞き取りはしていない」と発言。※学級の保護者数人に聞いたが、聞き取りをした事実は確認済み。

 今日の校長の証言、校長の検察調書、女児の証言、保護者の証言のブレが多い。結局、証拠がないのです。裁判の回数を重ねるごとにブレが多くなっていき、この事件のおかしさが露わになっていきます。今日の校長尋問は、自分の身を守ることに必死で、一切非を認めませんでした。こんな方が未だに子どもの前に立っておられるということが理解できません。

◎次回の公判について
11月6日(月)午後2:00~2:30 603号法廷 定員36名(特別席と記者席を除くと24席か)
『中原千種スクールカウンセラー』の証人尋問です。当時、事件のあった(とされる)小学校でスクールカウンセラーとして勤務。事件が起きたとされる2日後に女児に話を聞いているということです。
※ただし中原千種氏は、①清須市教委との契約、②岡校長と同校で勤務している、③女児への聞き取りも1対1で行っている、といったことから、証言がどこまで信用性のあるものかが疑問に思います。

清須市教育委員会の文書開示についての対応

清須市教育委員会の文書開示についての対応】

①7/27 『平成28年1月22日(金)に起きたとされる非違行為についてのメモや記録の一切』の開示請求

②8/3 『刑事捜査に支障が生じるため不開示』との回答

③8/7 「捜査は終わっているので、不開示の理由としてはおかしいので、不服申請をする」と喜邑が申し出る

④8/8 「やっぱり開示することにします」との返事、取りに来てくださいとのこと

⑤8/10 開示文書を取りに行く(1)
・公文書が2枚開示された
・「メモや記録が、これだけのはずがない。もっとあるはずだ」と言うと、「わかりました、探してみます」とのこと。「1週間後にまた来てください」とのこと。

⑥8/17 1週間たったが連絡なし。夜になって、こちらから電話すると、「今電話するところでした~」と。開示しますので、取りに来てくださいとのこと。

⑦8/25 開示文書を取りに行く(2)
・また2枚程度しか開示しない
清須市教委の対応があまりにもひどいので、不服申請書類を提出。すると「こんなもの出されても、無いものは無いんです!!」と逆切れをした。

⑧8/29
・当時の担当者(今は別の機関に異動)に問い合わせると、「メモや記録はある。市教委にすべて置いてきた」とのこと。
・その後、市教委へ行くと、「よく探したらありました~」とのこと。早急に開示するよう要求。

⑨9/7 開示文書を取りに行く(3)
・50枚以上にも及ぶ記録が開示されたが、ほとんど黒塗り。

この1か月の間に、清須市教委へ足を運んだ回数6回。

9月12日の公判は岡春彦校長の証人尋問

【9月12日の公判は岡春彦校長の証人尋問】

 次回の公判が岡春彦校長の証人尋問ですので、この事件に関する岡校長の対応についてまとめてみます。

● 喜邑とは、およそ20分の聞き取りのみで、クラスの子どもに全く聞き取りをしていない。喜邑は認めていないのに、「認めた」として清須市教委・尾張教育事務所・愛知県教委に報告書をあげてしまった。更に当日夜9時まで拘束。

● 保護者と直接会って、話をする機会を与えてくれなかった。

● 翌日、朝の職員朝礼で、「喜邑がわいせつ行為をした」と全職員の前で発言。更には喜邑と一切連絡を取らないようにと職員に命令した。

● 翌日から喜邑に欠勤を命じ、事実上の給料取り上げ処分をした。本来、減給等の懲戒処分は任命権者である愛知県教育委員会が行うものであり、校長が給料取り上げ処分を行うことは越権行為であり違法である。

● 地方公務員法27条「すべて職員の分限及び懲戒については、公正でなければならない。」とあるが、喜邑に不利益で、とても公正ではない。

● 翌日から「やっていない」と毎日のように電話したが聞く耳を持たず、20日後にやっと保護者に説明をした。しかし「喜邑が最初は認めていたのに、やっていないと証言を変えてきた」と説明。

● 校長は女児の保護者と一緒に警察に行き、被害届を出している。

● 26年度に教員免許更新の講習を修了し、申請書を提出し、更新手続きが完了したと思ったが、校長が申請書を紛失。27年度末の時点で免許更新の手続きがされていなかった。危うく28年度の4月から無免許で教壇に立つところであった。

 本来、職員を守る立場である校長が、被害者(とされる)側の証人として出廷し、喜邑を有罪にするための証言をするというのも非常に残念な話です。始めから中立な立場ではなく、保護者側の味方になったことの証明といえます。最初に女児の母親との話し合いの場がきちんとあれば、このような大事になっていなかったでしょう。