冤罪で逮捕された喜邑拓也(きむらたくや)さんの無罪を求めます!!

喜邑拓也(以下、喜邑)さんは、去る平成28年11月21日、中村区の自宅において強制わいせつの疑いで逮捕され、西枇杷島署に勾留されました。更に12月9日、一旦釈放の後、「別件」という形で再び不当な逮捕で勾留されました。しかし、弁護士による「準抗告」が認められた結果、この別件逮捕による勾留延長は取り消され、喜邑さんは釈放されました。ところが、平成29年1月23日、検察庁は、不当にも喜邑さんを在宅のまま起訴しました。喜邑さんは強制わいせつなどしていません。「冤罪」での起訴は不当です。

第7回公判が行われました

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2月7日(水)満席の傍聴者の中で、第7回公判が行われました。傍聴していただいた方、ありがとうございました。また、せっかく来ていただいたのに、定員オーバーで入廷できなかった方、申し訳ございませんでした。今回の公判は、弁護人側の証人で名古屋大学大学院の北神先生の証人尋問でした。

はじめに、北神先生が作成された鑑定書について、先の公判では、大野検事が「これは鑑定書ではない」「これは鑑定書に値しない」と発言していましたが、裁判官は証拠として採用しました。

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続いて、弁護人からの尋問です。
鑑定書に基づき、

1、「嘘の発達」・・・4~6才頃には相手を欺くことを目的とした意図的な嘘をつくことができるようになる。

2、7~8才頃には、洗練された一貫性のある嘘であると同時に自分の心の状態が、相手にどう思われているかまで理解できるようになる事を背景とした向社会的な嘘をつくことができる。

3、「記憶の忘却」・・・記憶は時間とともに忘れられていく。

4、「偽りの記憶」・・・本人が経験していなくても、あたかも自分が経験したかのように、思い出すことは決して不思議なことではない。

5、「確証バイアス」・・・聴取する側に、いったん「犯人スキーマ」が形成されてしまうと、事件についてさまざまな聴取を行う過程でいくら悪意がなくても、確証バイアスによって「この人が犯人である」という仮説について確証を得ようとする。

6、事件から約2ヶ月もの時間が経過した後のタイミングで、女児の最初期の供述調書が作成されたことで、その中身は、まったく汚染されていない女児自身の「生の記憶」を反映したものであるとは言えない。

7、供述聴取が繰り返されるたびに、記憶が変容してしまい、実体験としてのオリジナルな記憶からどんどんかけ離れていき、正確な情報としての記憶を引き出すこととは逆方向に作用してしまった。

8、供述調書は、供述者の記憶そのものの記録ではなく、何らかの供述を聴取する側の影響が、供述調書の内容に反映されている。

9、事件が起こる前の段階で、母親が児童に対して、何らかの被害がないか聞き取りを行っていたことから、事件が起こる前から、母親は被告人に対して、ネガティブなスキーマを形成していた。

10、被告人に対して「犯人と決めつける」ことから逃れられず、「被告人が犯人である」という確証ばかり得ようとして、児童に対する聞き取りが行われた。

11、時間が経てば経つほど記憶の忘却は進んでいくが、はじめはどちらの胸かは供述していないが、3月14日に「右の胸」、3月25日には「左の胸」と供述し、約10日ほどの間にもすでに変遷している。2ヶ月後になって、児童本人の口から「左を触られた」ということが「感覚まで覚えている」と語られているのは、記憶研究の専門家の立場からは、不自然であると評価せざるを得ない。

という内容のことがお話されました。

続いて、検事による尋問ですが、鑑定書の中身の専門的な内容に踏み込んでの尋問がなされていませんでした。また、表情や口調から、苛立ちを感じさせる場面もありました。

検事は、「自分は研修をたくさん積んでおり、中立な立場で正しい聴取ができている」ことを主張されたいためか、「あなたは検事がどんな研修、勉強をしているかご存知ですか?」などという質問をされていました。

北神先生は「わかりません」と答えられました。当然です。検事の研修内容など、わかるはずがありません。しかし検察は、喜邑の話を一度も聞かず、一方的に逮捕し、自白しなければ長期間勾留する。証拠がなくても、被害者証言だけで無理やり起訴するという、明らかに被告人を人権無視するような研修を、きっと受けているのだろうと私は当然思ってしまいます。

結局検事は、裁判官の前で、自分たちのしてきたことはすべて100%正しいということを主張されたいのでしょう。なるほど、校長と同じです。

検察側の女性弁護士(女児の母親が依頼した弁護士)は、公判の途中でこちらを見て、歯を出してニコッと笑っておられました。弁護士にとって法廷は真剣勝負の場です。更には被告人の一生にかかっている大切な場なのです。当事者からすれば、身を引き締めて臨んでほしいものです。