冤罪で逮捕された喜邑拓也(きむらたくや)さんの無罪を求めます!!

喜邑拓也(以下、喜邑)さんは、去る平成28年11月21日、中村区の自宅において強制わいせつの疑いで逮捕され、西枇杷島署に勾留されました。更に12月9日、一旦釈放の後、「別件」という形で再び不当な逮捕で勾留されました。しかし、弁護士による「準抗告」が認められた結果、この別件逮捕による勾留延長は取り消され、喜邑さんは釈放されました。ところが、平成29年1月23日、検察庁は、不当にも喜邑さんを在宅のまま起訴しました。喜邑さんは強制わいせつなどしていません。「冤罪」での起訴は不当です。

クラスで子どもたちと過ごした最後の日

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 11月18日(土)は私の中では特別な日。クラスで子どもたちと過ごした最後の日から、ちょうど一年がたつ日。一年前のこの日は金曜日で、週に一度の6時間目まである日。この日のことは鮮明に覚えている。
 1時間目は体育館で体育。ボールを使った運動をした。2時間目は席替えをした。3時間目は算数。4時間目は理科で運動場の地面の温度を計った。日なたと日陰の地面の温度である。5時間目は音楽の授業。音楽室で専科の先生による授業。私は教室で宿題の丸付けと、6時間目の授業の準備をしていた。5時間目が終わって、音楽室から子どもたちが帰ってくる。6時間目は算数。ティームティーチングで、2人の教師で授業をする。週に一度の6時間目の授業で、前日が校外学習だったこともあり、子どもたちはちょっぴりお疲れモード。それでも子どもたちは私の話をしっかりと聞き、よく挙手をして頑張っていた。
 6時間目が終わって、子どもたちは帰りの用意。いつものように私がピアノを弾き始めると、用意ができた子からリコーダーを出して演奏。最終的にみんなでリコーダーでいくつか曲を練習してから歌を歌う。これが毎日帰り...のルーティーンになっていた。「月曜日、元気に会おうね」とみんなに話してから、「さようなら」をした。その時、これが本当に最後の「さようなら」になって、もうみんなには会えないなんて、思うわけもない。
 放課後は、鼓笛部の指導をして、その後音楽室でティンパニのチューニングをした。2月の演奏会での惑星の『木星』の演奏に使うためだ。職員室に戻ってきたら、今度は研究授業に使う分数のプリントを作った。子どもたちが分かりやすく分数の勉強に取り組めるようにするためには、どんな構成にしたら良いかを時間をかけて考えながら作ったので、結構時間がかかったのを覚えている。でも、自分で作ったプリントを自分で使って授業をすることもなかった。この日、学校を出た頃には9時を回っていた。

 そして月曜日の朝、突然逮捕されたのだ。「子どもたちが待っている。学校に行かせてくれ!」と何度も刑事に頼んだが、言えば言うほどむなしくなる。翌日には『送致』といって、検察庁で検事による取り調べがあった。これが非常にやっかいなのだ。朝8時頃に西枇杷島署を護送車に乗せられ出発し、他の署からも被疑者を拾っていくので、検察庁に着くのは9時ぐらい。自分の順番が回ってくる12時まで、3時間待たされる。この日、検事に初めて自分の主張をぶつけられるので、3時間ぐらい話した。そして帰りの護送車の出発は6時なので、また3時間待たされる。計6時間もひたすらと待っていた。長い時間ではあるが、ずっとクラスの子どもたちのことで頭がいっぱいだった。33人みんなのことを一人ずつ漏れがなく考えていた。
 署で留置されている26日間、子どもたちに会いたくて会いたくてたまらなかった。苦しくて精神的にも限界だった。弁護士以外とは面会も禁止されていたため、完全に孤独だった。当然スマホやPCで外部と連絡を取ることもできない。テレビも見ることもできない。世の中がどうなっているのか、全く分からない。天気でさえ分からない。留置場では何度もパニックになった。
 しかし、勾留から1週間ほどたったころ、弁護士から「保護者の方や地域の方、教師仲間や、あなたの友人が応援してくれているよ」と知らされる。数十通にも及ぶ激励の手紙も見せてくれる。クラスの子どもたちが、「先生を助けに警察に行こう!」と言っていることも分かった。ここからだった。警察になんかに負けてたまるか!と思い始めたのは。しかし、署の中では、いろんな人が言う。「否認していると、勾留期間が延びる」と。でも、やっていないのだから、私は貫いた。

 26日たって釈放された。そして学校での勤務を再開した。子どもの目に触れない場所ということで、職員室の隣の「印刷室」での勤務となった。コンクリートの白い壁、狭い部屋。留置場を思い出す。でも、窓があること、ドアから自由に出入りができることを考えれば、ありがたいことかと納得する。しかし、校長に何度お願いしても、担任には戻してくれない。
 寂しくて仕方がない。子どもが下校してから、何度も教室へ行った。子どもたちが描いた絵や習字を見て、子どもたちの様子や成長を思い浮かべたりした。休み時間に自由に使って良いと置いていたキーボードが片付けられていた。どうやら、順番をめぐってケンカをするからだそう。でも、嬉しかったことがある。子どもたちが手紙を書いて、教室の私の机の引き出しの中に入れて置いてくれたこと。引き出しの中からデジカメを出して、休み時間にみんなで写真を撮ってくれていたこと。子どもたちなりに、担任が休んでいる間のことを残しておこうとしてくれたのかな。
 ある信頼できる先生がいて、その先生が、毎日のように印刷室に来て、私にクラスの子どもたちのことを話してくれる。それを聞くのが本当に楽しみだった。でも、子どもが、教室に掲示してある写真や、私の楽器などを見て、突然私のことを思い出して泣いてしまうという。それを聞いて、胸が張り裂ける思いだった。思い出のいっぱい詰まった教室なのである。職員室前の廊下から、何回か子どもたちが「喜邑先生に会わせて!」と言っているのが聞こえたが、先生方が「今は会えないから。」と言って、追い返してしまった。子どもたちは会いたがっている。私も子どもたちに会いたい。なぜ担任に戻してくれないのかと校長に尋ねると、「今さら波風を立てたくないのだよ。我慢してくれんかね。」と答えた。二度とクラスの子どもたちの前に戻ることはなかった。

 職をはく奪され、生活が苦しくなってくる。教師時代に頑張って働いて、欲しくて買った物も、手放さなければならないときは、本当に辛かった。でも、お金で買える物なら、また将来余裕が出てきたら取り戻せるんだ。と自分に言い聞かせている。しかし、問題はお金で買えない、子どもたちとの時間。自分の名誉。14年間続けてきた教員の職。演奏活動。私はこの1年の精神的な苦痛は計り知れないものである。
 今も夢にクラス担任をしていることが出てくるのだ。クラスのみんなと歌を歌っている夢をよく見るのである。いつもこのままずっと見ていたいと思う。目が覚めると、とても寂しくなるのだ。