冤罪で逮捕された喜邑拓也(きむらたくや)さんは無罪です!!

【連絡先 n_kimutaku@yahoo.co.jp】 喜邑拓也(以下、喜邑)さんは、去る平成28年11月21日、中村区の自宅において強制わいせつの疑いで逮捕され、西枇杷島署に勾留されました。その後、平成29年1月23日、検察庁は不当にも喜邑さんを在宅のまま起訴しました。喜邑さんは一貫して無実を訴えているにもかかわらず、一審では不当にも有罪判決を下されました。喜邑さんは強制わいせつなどしていません。控訴をして闘い続けます。

清須市教育委員会の文書開示についての対応

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平成29年
①7/27 清須市教育委員会(以下、市教委)に対し、『平成28年1月22日(金)に起きたとされる非違行為についてのメモや記録の一切』の開示請求...

②8/3 市教委は、『刑事捜査に支障が生じるため不開示』との回答

③8/7 防災行政課に対し、「捜査は終わっているので、不開示の理由としてはおかしいので、審査請求書を提出する」と喜邑が申し出る

④8/8 市教委は、「やっぱり開示することにします」との返事、取りに来てくださいとのこと

⑤8/10 市教委に開示文書を取りに行く(1)
・公文書が2枚開示された
・「メモや記録が、これだけのはずがない。もっとあるはずだ」と言うと、「わかりました、探してみます」とのこと。「1週間後に連絡します」とのこと。

⑥8/17 1週間たったが連絡なし。夜になって、こちらから市教委に電話すると、「今電話するところでした~」と。開示しますので、取りに来てくださいとのこと。

⑦8/25 市教委に開示文書を取りに行く(2)
・また2枚程度しか開示しない
・市教委の対応があまりにもひどいので、審査請求書を提出。すると「こんなもの出されても、無いものは無いんです!!」と逆切れをした。

⑧8/29
・事件が起きたとされる当時の市教委の担当者(石川孝志参事=現新川中学校長)と面談。聞けば、「メモや記録はある。市教委にすべて置いてきた」とのこと。
・その後、市教委へ行くと、「よく探したらありました~」とのこと。早急に開示するよう要求。

⑨9/7 市教委へ開示文書を取りに行く(3)
・50枚以上にも及ぶ記録が開示されたが、ほとんど黒塗り。
・開示された書類は『岡校長作成の対応記録』。石川参事が作成した記録(尾張教育事務所や県教委教職員課とのやりとり等)は一切開示されず。

⑩10/26 市教委に開示文書を取りに行く(4)
・文書を開示するので、これで勘弁してくれというような対応。8月に提出した審査請求書を未だ受理しておらず、返却される。
・開示書類のほとんどが黒塗り状態。

この4か月の間に、市教委へ足を運んだ回数は計8回。

⑪11/9 防災行政課に対し、市教委の今までの対応を報告。後日、防災行政課の立ち合いのもと、話し合いをすることを約束。

⑫11/14 防災行政課の立ち合いのもと、市教委と面談。
・市教委は、その場で審査請求書を受理すること。
・第三者の有識者を招集し、審理を行うこと。
・審理等の今後のスケジュールが分かった時点で喜邑に明らかにすること。
以上3点の要求がすべて通った。

・さらに、市教委の内部だけで対応せず、審理や開示の進捗状況を『市教委→防災行政課→人事秘書課→市長』へと逐一報告することも約束した。

【まとめ】
・最初は「無い」と言っておきながら、抗議するごとに「やっぱりありました」などと、書類を小出しにし、何度も足を運ばせる。しかし、開示された書類はほとんどが黒塗り。
・まずい書類であるが故に、外部の目に晒したくない。よって、審査請求書を受理しなかった。これは条例違反である。
・この4カ月の間の市教委のひどい対応を、同じ市役所内の他の部署は知らない。市教委内で隠蔽し、市役所内で報告、連絡、情報共有を怠った。
・本事件に関わる書類は他にも多数存在することが調書や公判によって明らかにされているが、未だ開示しない。
・防災行政課の迅速な対応は好感が持てる。市教委の対応とは真逆である。

クラスで子どもたちと過ごした最後の日

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 11月18日(土)は私の中では特別な日。クラスで子どもたちと過ごした最後の日から、ちょうど一年がたつ日。一年前のこの日は金曜日で、週に一度の6時間目まである日。この日のことは鮮明に覚えている。
 1時間目は体育館で体育。ボールを使った運動をした。2時間目は席替えをした。3時間目は算数。4時間目は理科で運動場の地面の温度を計った。日なたと日陰の地面の温度である。5時間目は音楽の授業。音楽室で専科の先生による授業。私は教室で宿題の丸付けと、6時間目の授業の準備をしていた。5時間目が終わって、音楽室から子どもたちが帰ってくる。6時間目は算数。ティームティーチングで、2人の教師で授業をする。週に一度の6時間目の授業で、前日が校外学習だったこともあり、子どもたちはちょっぴりお疲れモード。それでも子どもたちは私の話をしっかりと聞き、よく挙手をして頑張っていた。
 6時間目が終わって、子どもたちは帰りの用意。いつものように私がピアノを弾き始めると、用意ができた子からリコーダーを出して演奏。最終的にみんなでリコーダーでいくつか曲を練習してから歌を歌う。これが毎日帰り...のルーティーンになっていた。「月曜日、元気に会おうね」とみんなに話してから、「さようなら」をした。その時、これが本当に最後の「さようなら」になって、もうみんなには会えないなんて、思うわけもない。
 放課後は、鼓笛部の指導をして、その後音楽室でティンパニのチューニングをした。2月の演奏会での惑星の『木星』の演奏に使うためだ。職員室に戻ってきたら、今度は研究授業に使う分数のプリントを作った。子どもたちが分かりやすく分数の勉強に取り組めるようにするためには、どんな構成にしたら良いかを時間をかけて考えながら作ったので、結構時間がかかったのを覚えている。でも、自分で作ったプリントを自分で使って授業をすることもなかった。この日、学校を出た頃には9時を回っていた。

 そして月曜日の朝、突然逮捕されたのだ。「子どもたちが待っている。学校に行かせてくれ!」と何度も刑事に頼んだが、言えば言うほどむなしくなる。翌日には『送致』といって、検察庁で検事による取り調べがあった。これが非常にやっかいなのだ。朝8時頃に西枇杷島署を護送車に乗せられ出発し、他の署からも被疑者を拾っていくので、検察庁に着くのは9時ぐらい。自分の順番が回ってくる12時まで、3時間待たされる。この日、検事に初めて自分の主張をぶつけられるので、3時間ぐらい話した。そして帰りの護送車の出発は6時なので、また3時間待たされる。計6時間もひたすらと待っていた。長い時間ではあるが、ずっとクラスの子どもたちのことで頭がいっぱいだった。33人みんなのことを一人ずつ漏れがなく考えていた。
 署で留置されている26日間、子どもたちに会いたくて会いたくてたまらなかった。苦しくて精神的にも限界だった。弁護士以外とは面会も禁止されていたため、完全に孤独だった。当然スマホやPCで外部と連絡を取ることもできない。テレビも見ることもできない。世の中がどうなっているのか、全く分からない。天気でさえ分からない。留置場では何度もパニックになった。
 しかし、勾留から1週間ほどたったころ、弁護士から「保護者の方や地域の方、教師仲間や、あなたの友人が応援してくれているよ」と知らされる。数十通にも及ぶ激励の手紙も見せてくれる。クラスの子どもたちが、「先生を助けに警察に行こう!」と言っていることも分かった。ここからだった。警察になんかに負けてたまるか!と思い始めたのは。しかし、署の中では、いろんな人が言う。「否認していると、勾留期間が延びる」と。でも、やっていないのだから、私は貫いた。

 26日たって釈放された。そして学校での勤務を再開した。子どもの目に触れない場所ということで、職員室の隣の「印刷室」での勤務となった。コンクリートの白い壁、狭い部屋。留置場を思い出す。でも、窓があること、ドアから自由に出入りができることを考えれば、ありがたいことかと納得する。しかし、校長に何度お願いしても、担任には戻してくれない。
 寂しくて仕方がない。子どもが下校してから、何度も教室へ行った。子どもたちが描いた絵や習字を見て、子どもたちの様子や成長を思い浮かべたりした。休み時間に自由に使って良いと置いていたキーボードが片付けられていた。どうやら、順番をめぐってケンカをするからだそう。でも、嬉しかったことがある。子どもたちが手紙を書いて、教室の私の机の引き出しの中に入れて置いてくれたこと。引き出しの中からデジカメを出して、休み時間にみんなで写真を撮ってくれていたこと。子どもたちなりに、担任が休んでいる間のことを残しておこうとしてくれたのかな。
 ある信頼できる先生がいて、その先生が、毎日のように印刷室に来て、私にクラスの子どもたちのことを話してくれる。それを聞くのが本当に楽しみだった。でも、子どもが、教室に掲示してある写真や、私の楽器などを見て、突然私のことを思い出して泣いてしまうという。それを聞いて、胸が張り裂ける思いだった。思い出のいっぱい詰まった教室なのである。職員室前の廊下から、何回か子どもたちが「喜邑先生に会わせて!」と言っているのが聞こえたが、先生方が「今は会えないから。」と言って、追い返してしまった。子どもたちは会いたがっている。私も子どもたちに会いたい。なぜ担任に戻してくれないのかと校長に尋ねると、「今さら波風を立てたくないのだよ。我慢してくれんかね。」と答えた。二度とクラスの子どもたちの前に戻ることはなかった。

 職をはく奪され、生活が苦しくなってくる。教師時代に頑張って働いて、欲しくて買った物も、手放さなければならないときは、本当に辛かった。でも、お金で買える物なら、また将来余裕が出てきたら取り戻せるんだ。と自分に言い聞かせている。しかし、問題はお金で買えない、子どもたちとの時間。自分の名誉。14年間続けてきた教員の職。演奏活動。私はこの1年の精神的な苦痛は計り知れないものである。
 今も夢にクラス担任をしていることが出てくるのだ。クラスのみんなと歌を歌っている夢をよく見るのである。いつもこのままずっと見ていたいと思う。目が覚めると、とても寂しくなるのだ。

スクールカウンセラーの証言

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11月6日、名古屋地方裁判所にて第5回公判が行われました。傍聴券配布時刻の1時間前に定員に達しました。傍聴に駆けつけてくださった方、温かい励ましの言葉をくださった方、本当にありがとうございました。また、せっかく来ていただいたのに入廷できず、外で待っていてくださった方、すみませんでした。今日はK小学校スクールカウンセラーA氏の証人尋問です。

 ~~~ K小学校スクールカウンセラーA氏は、検事との念入りな打ち合わせをし、検事が作ったストーリー通りに喋らされた!! ~~~

  まず、A氏は検事と念入りな打ち合わせをしたせいか、入廷するとき、自信がうかがえる表情をしていました。しかし、公判の終盤には、少々引きつった表情をされていたように感じます。...

 先回の校長も、よく喋りました。今回のA氏もよく喋っておられました。これは検事の戦略かと思ってしまいます。専門用語を多用し、素質や能力が高いことをアピールされていましたが、専門用語を使わず、素人にも分かりやすく話をされる方が本当に能力の高い方だと私は思いますが。

  

・岡校長の説明や、養護教諭作成の連絡ノートを見て、「喜邑が認めた」と聞かされた上で先入観をもってカウンセリングを行った

 ・本来、スクールカウンセラーの役割ではない『事実確認』を率先して行った(そのわりには大事なことを確認していない)

※右の乳首か左の乳首か? 教室に30人ぐらい児童がいたにもかかわらず、誰か見ていなかったのか? については確認していない

 ・「事務机のところでしゃがんでいた」という女児の言葉から、「事務机の陰で死角になっていた」と勝手に思い込んだ

 ・この公判に向けて「検事と打ち合わせをしました」とご丁寧にも発言してしまった(これには傍聴者も唖然、検事もヒヤヒヤ)

 ・「女児と母親の言っていることが一致したから、これは本当であると確信した」とあったが、母親は現場を目撃しておらず、女児から聞いただけなので、一致するのは当然

 ・「女児の言うことは嘘ではないと確信した」とあったが、その根拠がとても乏しい

 ・A氏は掃除中の状況を分かっていない

 ・今までに子どもの嘘を見抜いた経験がない

 ・検事はA氏が県から雇用されていることを確認

※これを聞いたのは、岡校長に忖度しての証言ではないことを証明するためと思われるが、県から雇用されていようと、非常勤職員であるスクールカウンセラーは、校長に嫌われたら、その時点で来年の契約は無いのですよ

 【結論】

 女児や保護者の訴えだけを鵜呑みしたA氏の思い込みは、岡校長と言っていること、やっていることが同じである。

  本日のA氏の証人尋問を終え、これで検察側からの証人はすべて出そろいました。何よりも公判の回数を重ねるごとに証拠の乏しさや、事件のおかしさが露わになってきました。

第5回公判

11月6日(月)14時〜14時半
名古屋地裁 603号法廷
(13:40に傍聴券配布)...
事件が起きたとされる、
当時の勤務校のスクールカウンセラー
A氏の証人尋問です。
みなさま、傍聴をよろしくお願いします。

昨年のコンサート風景

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昨年の、誤認逮捕される1か月前のコンサートの風景です。今年は、高校生の時から出演していた地元の祭り『太閤祭り』での演奏も断られました。私は事件が起きたとされる当初から、一貫して認めていないわけですが、逮捕されるとあらゆる物を失い、社会的に制裁を受けます。国家権力とは恐ろしいもので、究極のパワハラです。それに比べれば、会社で上司に怒鳴られるぐらいならユルいものです。万が一、私の裁判で有罪になるのであれば、世の先生方、小学1年生の担任であっても、半径2m以内には子どもが来ないようにバリアをはらねばなりません。

事件当日の新聞記事

以下、今回の私の事件の新聞記事です。

 愛知県警は21日、名古屋市中村区稲西町、市立小学校教諭の喜邑拓也容疑者(36)を強制わいせつの疑いで逮捕し、発表した。「私はやっていません」と容疑を否認しているという。西枇杷島署によると、喜邑容疑者は、今年1月22日午後1時25分ごろ、勤務する小学校の教室内で掃除をしていた女子児童(当時7)の体を触るなどした疑いがある。県警は、女児の保護者から3月下旬に告訴状を受理し、捜査を続けていた。(2016.11.21 朝日新聞

 この記事を読んだ限りでは、多くの人は「喜邑は犯人だ」と思うでしょうし、体のどの部分を触ったのかの憶測も飛ぶでしょう。しかし、被疑事実は、一つ目は、平成28年1月22日(金)の掃除の時間、クラスの児童、少なくとも20人以上がいる中で、「喜邑が女児の服の中に手を入れ、乳首を弄んだ。」というものである。二つ目は、同日5時間目の授業中に、パソコン室でクラスの児童全員がいる中で、「喜邑が女児を抱きかかえて、唇にキスをした。」というものである(キスの件は不起訴)。
 いずれも常識的に考えて、他の児童に見られるのを承知の上で、あえてこのような状況で上記の行為に及ぶはずがない。もし、それらの行為があったとすれば、見ていた児童はいずれも家庭で親に話し、保護者から学校へ苦情が相次ぐのが自然であるが、そのような事態は生じていない。

 しかし、校長は平成28年1月25日(月)、女児の保護者の訴えに怯え、否認している喜邑を犯人扱いし、事を荒立てないようにした。そして詳細な事実確認をしなかった。事実確認をすれば、喜邑が無実であることが明らかになるためである。学級の保護者にも何の説明もしなかった。
 事実、学級の保護者の何人かに聞いても、「子どもは、喜邑先生がそんなことをしているのを見たことがないと言っている」と仰っているし、校長は3月になって県教委の指示によって、学級の児童に聞き取りをしているが、目撃証言は一切出てきていないのである。

 それでも検察側は、喜邑を有罪にするために、あの手この手と必死なのです。次回の公判では、スクールカウンセラーが証人として来るのです。初期対応を誤った、今回の事件のキーマンである『校長』を応援するために、喜邑を有罪にするために証言しに来るのです。ひどい話です。